花は紅

生きづらさを抱える人間が森田療法を実践するブログ

そのありのままでよいのである

主のご復活おめでとうございます!

本日、4月16日は復活祭でございます。
森田療法のことをメインに書いているブログですが、今日はキリスト教についてちょっと書いてみたいと思います。
(私はカトリック教会で洗礼を受けたクリスチャンです)

昨日の復活徹夜祭で、新受洗者さんの代母(洗礼式に立会い、神に対する契約の証人となる役割の者)をつとめさせていただきました。
洗礼式の前に受洗者の方とお話をしたのですが、やはり色々と悩んだ末に教会に来られたようで、「自分を根本から変えないといけないと思って教会に来た」というようなことを仰っていました。

私が教会に行くようになったきっかけも同じでした。
自分という人間が嫌で嫌で仕方なくて、とにかく自分の性格の悪さを矯正したいという気持ちでした。
信仰を得て楽になりたい、苦しみから解放されたい、という気持ちもあった。

私はヒネクレ者のため、神様を心から信じるという段階にはまだ至っておりません。
祈りもめんどくさくてすぐやめてしまう。
それでも何とか2年間教会からは離れずにいて(しんどくて行かなくなる時期も結構ありますが)、キリスト教森田療法をウロウロしています。

……で、私が洗礼を受けて教会に通うようになって、根本から変わることができたかというと、はっきり言って全然変わっておりません。
「いや、少しくらいは善良な人間になったでしょ!?」と質問されたとしても、胸をはって「まっっったく善良になっておりません!!」と答えられるくらい変わっていません。
相変わらず欲深く、妬み深く、「こんなに苦しんでいるのは私だけなんだ」と自分をかわいそがって人を羨みます。
ちょっとしたことでイライラします。
最低な発言ですが、嫌いな人に対しては「こいつが死んでくれたらどんなにいいか」とまで考えます。
いつでも自分が一番になりたいです。
不安や悩みを受け止めるなんてできなくて、「どうにかしてこの不安を消さなくては」ととらわれまくる毎日です。

唯一変わったのは、「でも、このどーしようもない自分でいるしかないんだ、この自分が自分なんだ」と、ようやく渋々認めることができるようになってきた…ということです。
今でも変えたいところは山のようにありますが、自分のすべてが嫌いかというと、そうでもありません。
いつもくよくよ悩みながらよく生きてるじゃないか、という気持ちもある。

だから、「洗礼を受けても、根本は変わらないんですよ!」と受洗者さんに正直に言ってしまった。
「でも、私が一番キリスト教から感じるメッセージは、『そのままでいい、そのままのあなたでいい』ってことなんです。だから、自分という人間は変わらないけど、前よりは自分を受け入れられるようになってきた気がする」
そんなようなことを受洗者さんに伝えました。
このメッセージは正直、キリスト教よりも森田療法から感じたメッセージかもしれない。
でも、神様も、私たちが善人であることなんて求めてないだろうなと思う。
福岡伸一さんの本で「遺伝子はダメなあなたを愛してる」という本がありますが、遺伝子を神様に変えるととてもしっくりくる。
「神様はダメなあなたを愛してる」なんです。たぶん。

まぁ、だからといって「ダメな私のままでいいんだ~~!」と解放されて心が楽になるなんてことはありません(笑)
「あぁぁ~~こんな自分はいやだ~~~」とうじうじ悩みながら、でもそんな自分でいるしかない、これ以外の自分にはなりようがないと仕方なしに生きていく感じですかね。