花は紅

生きづらさを抱える人間が森田療法を実践するブログ

好きなだけ食べればよい

さっそく月1更新の決心を破ってしまいましたが、まぁそれはそれということで…。
あまりきちんとしたブログを書こうとすると挫折するため、これからはもう少し砕けた感じのブログにしていきます。
過去の記事は2~3時間くらいかけて書いていたので(^◇^;)

タイトルの「好きなだけ食べればよい」ですが、最近思い当たる節がありましたのでちょっと書いてみようと思います。

この「好きなだけ食べればよい」という言葉は、過食が止まらず入院した患者さんに対して、森田先生が言った言葉です。
「過食が止まらない」と悩む人に「好きなだけ食べればよい」とは、森田という医者はアホと違うかと感じるかもしれませんが、患者さんは森田先生の言葉に従って、実際に過食が治りました。

この方の過食が神経質から来ている過食だったため、森田先生の言葉で治ったのであろうと思います。
神経質でない方や、身体的な病気によるものだったら、こうはいかない。

おそらくこの患者さんは、「食べすぎてはいけない、健康な食生活を心がけねばいけない」という、神経質特有の高すぎる理想をお持ちの観念的完全主義者だったのでしょう。
自分の欲望や感情を頭で「してはいけない」と抑えようとすると、ますます欲望や感情は強まります。
これが森田正馬の言った「思想の矛盾」です。
思惑と現実は反対になるということです。
この方は、食べすぎてはいけない、健康な食生活をしなければいけないと思えば思うほど、食べ物への欲望がどんどん強まっていき、理想とは正反対の過食になってしまったのでしょう。

それに対して森田先生は、「好きなだけ食べればよい」と言いました。
なぜ好きなだけ食べればよいのか?
それは、体には自然な調整作用が備わっているからだろうと私は思います(私が読んだ本には詳しい説明が書かれていなかったので、憶測です)。
甘いものが食べたかったら食べればよかろう。
油っこいものが食べたかったら食べればよかろう。
そんなに心配しないでも、大量に食べれば必ず胸焼け・胃もたれを起こします。
そうなったら、「もう甘いものはしばらくいらない。さっぱりしたものが食べたい」となることでしょう。
森田先生は体の自然な作用を信頼していたのですね。

これに対して、神経質者は自然を信頼していない。
自然のままにしておいたらきっととんでもないことになると思い、自分の意思や考えによって自然を操作しようとする。
その結果どうなるか?
立派な神経質症の出来上がりです。

私が森田先生の「好きなだけ食べればよい」という言葉に合点がいったのは、私自身が、最近甘いもの断ちをしようとして逆に過食になったからです。
ダイエットと節約の両方をかねて「お菓子などの間食は禁止!」という決心をしたのです。
しかし実際に始めてみると、間食禁止のスローガンを掲げる前よりもひどい過食に陥りました。
インターネットでひたすら甘いものの画像を検索したり、スイッチが入ったように大袋のチョコレートとドーナツを買いこみ、貪り食いました。
自分の食欲、特に甘いものへの異常な執着があまりに恐ろしく、もう自分では太刀打ちできない!と思い、神様に「助けてください」と祈りました。

その結果(なのかどうかはわかりませんが…)、間食はやめられませんでしたが、過食は止まりました。
間食禁止を諦め、好きなだけお菓子を食べるようにすると、毎日1~2個のお菓子で満足するようになり、あのスイッチが入ったような「過食衝動」は無くなりました。
結局、間食を禁止する前の状態に戻ったわけですが、体に悪いほど太ってるわけでなし、日々の生活に困るほど貧乏なわけでなし、というわけで欲望に屈服しました…いや、自然に従いました(^_^;)
そんな出来事があって、私は「ああ、森田先生の『好きなだけ食べればよい』とはこういうことだったのかなぁ」と自分なりに思ったわけです。

森田療法って何となく、「食べたい気持ちはそのままにして、目の前のやるべきことをやれ」とか言い出しそうなイメージがありますが、全然そんなことはない。
本を読んだときはよく意味がわからなくても、日常生活で「あっ」と急に気づく瞬間があるのも、森田療法のおもしろさの1つです。


ちなみにですが、私は最近ちょっと森田療法離れをしております。
いい意味での森田療法離れです。

2ヶ月ほど前、森田療法のセラピストの先生に、「私は森田療法キリスト教に関する本ばかり読んでいるのですが、視野が狭くなってしまうのではないかと不安です。興味がない本にも手を出してみるべきでしょうか」と質問をしました。

今思い返せば、「視野が広くなければいけない、色々なものに興味を持たなければいけない」という思考が丸出しの質問ですね(^◇^;)
質問をしたときはそんなこと全然気づいていなくて、大真面目だったのですが。
これに対する先生の答えは「好きなだけ森田療法キリスト教の本を読めばいいんじゃないですか」というものでした。
そのうち自然に他の本も読みたくなりますよと。
そう言われて、そんなもんかなぁと思いながら森田療法を読み続けていましたら、さすがに若干飽きてきて、他の本が読みたくなりました。
もともと生き物が好きなので、この頃は動物に関する本をよく読んでいます。
森田療法の本を読む頻度は減っても、私の人生自体が森田療法を体現できるものになればいいなぁと思います。
遠藤周作が「沈黙」で書きたかったのってこれなのかなぁと、今これを書きながら合点がいきました。